中国のシャンプー

わたしの祖父は銀行員で、月に一度世界中をめぐる旅をしていた。その旅の都度持ち帰られた山ほどのおみやげのなかのひとつが、ブラジル製の大きな皮のクッションで、これは私が生まれる前に亡くなった祖母から邪険にされてかつて伊豆にあった別荘に打ち捨てられたものを、代々の孫に加えてうちの犬などが愛用していた。別荘が処分され、叔母の家にしばらくは置かれていたこの古びたよれよれのクッションを、ついに捨てると言うので引き取ることにした。子供たちがじゅうぶん飛びこめる大きさのこれは狭い我が家の玄関に置いてみるとやはりずいぶん大きい。ついでに言えば代々の孫たちの痕跡かあちらこちらが穴だらけで中身がぼろぼろと漏れてくるのであちこち継ぎはぎだらけになっている。これを買ってきた当の本人の祖父は廃棄寸前のこのクッションをわたしがひきとると申し出た時ずいぶんと喜んだらしい。
わたしにはあまり自分の素地となるような場所にまつわる思い出が無い。学校はいつも私立だったから自分の住んでいるところと離れていて地元という感じはないし、何度も引っ越しを経験している。それよりも、長い休みの度に旅行に行った静岡の別荘はよほど地元という感じがして、あの家を処分するときいたときはショックだった。別荘にはわたしの知らない祖母の手作りの飾りやなにかがたくさんあって、わたしにとって祖母の痕跡を感じられる唯一の場所でもあった。そういう、別荘のことを思い出せる品をわたしも手元に置いておけたらいいなと思って、今回申し出た。家の広さからすればかなり厄介な大きさのものではあるが。
巨大ながんもどきのようなブラジルのクッションにわたしの子供かいとこの子供が飛び込むようなことがあればいいのに。
おじいちゃん、孫娘は毎日死んでしまいたいよ。ごめんね。
わたしがしあわせに生きていくことが出来ればみんなしあわせなのに、どうしてそうできないんだろう。
家族のことを思うにつけそう思う。
タイトルはアルフレッド・ビーチ・サンダルから。