髪をやさしく撫でて、やさしく抱きしめてくれるようなひとをずっと探している。
そうされて私のこころが満たされるようなことがあるとすれば、それは生身の人間ではなくて、わたしも生身の人間ではなくなった時だろう。
私の髪だって実際、ごわごわしてひっかかるし。


やっぱりわたしは気狂いなのではないかと、思う、
執着してきたものを、急に未練もなく放り出したくなってしまう。
今月に入って、部屋のものを45Lのごみ袋に10袋は捨てた。
なにも要らないような気がする。
べつにすべて捨ててしまってもいい気がする。
過去を、ぽーんと手放してしまいたい。
もっと言えば現在も放り出してしまいたい。
樋口一葉にごりえ」の一節ばかりをさいきんは思い出す。ああいやだいやだ、人生がこれか、これが人生か、このまますべてを放り出して唐天竺の果てまでもいってしまいたい。あの丸木橋を、おじいさまも踏み返して落ちた、父さまも踏み返して落ちた。わたしもいずれ渡らねばならぬのだろう、とかなんとかそういう内容のあたり、そして、わたしも「出世を望む」ように見えたりするのだろう)
わたしは、自分の人生も簡単に手放してしまいたい気がする。
昔のように鬱々とするわけではなくて、こんなちっぽけなものから自由になりたいというだけのことで。


色々なことができるようになった。
人生をただ生きられるようになった。
生活ができるようになった。
魂が身体を離れて、ここにはない何かに考えを及ばすようなこともなくなった。
色々なことができるようになればなるほど、どうしてこうも人生が茫漠として感じられるのだろう。
どうして生身の人生とはこんなにつまらないのだろう。
ああ、つまらない。くだらない。人生がこれか。これが人生か。