西瓜糖の日々

くだらないことを呟かないうちに日記を書く。
友人のmちゃんとずっと前から会おうね、と今日の日付を決めていたのだけれど二人とも遅刻をした。やっと会えたのは約束の時間の一時間以上あとで、挙句雨に降りこめられた。(mちゃんとはいつもタイミングが悪い。会おうとすると会えないし、会えても渡すものを忘れるし、その癖本当によく偶然にニヤミスする。本当にすれすれのところで会うことが出来ない。)地下街は同じくして雷雨にやりこめられて逃げ込んできたひとたちでいっぱいになっていて、池袋が水没しただの新宿でマンホールから水が溢れ出ているだの、インターネットをみてけらけら笑いながらくだを巻く。「新宿は豪雨」と検索をかけたら呆れるほどの人たちがそれを呟いていてゲシュタルト崩壊。それだけセンセーショナルなフレーズだってことだ。自分だって東口の階段をのぼった途端にパブロフの犬的にそのメロディーが浮かんだ。中学生の頃、都内生まれで都内の学校に通っていた癖に、人の目も見れず、会話も出来ず、電車に乗るだけで目眩がして死にそうだったころ、椎名林檎東京事変があって、新宿は憧れの場所だった。同じ小田急線にただ乗っていくだけでいいのに、わたしは新宿を知らなかった。行くこともできなかった。知らない、人のたくさんいる場所をひとりで歩くことなどできなかった。東京に在りながらいつも東京に憧れていて、その東京には今も辿り着けていない。新宿をひとりで歩けるようになっても、いつも疲れるばかりだ。辿り着きたい場所にはいつまでも着く感じがしない。遠いお山のあの向こうにあるという幸せを、どうたらこうたら、という詩はなんだったっけ?岡崎京子が引用していた気がする。澁澤龍彦が同じ詩を快楽主義の哲学で批判していたことは確かなんだけれどわたしの部屋は恐ろしく本が散乱していてすぐに見つけることが出来ない。
新宿の複雑な地下道を把握しているmちゃんの案内のお陰で、今夜はライブハウスのすぐ近くまで雨に濡れずゆくことができた。mちゃんと別れて通いなれたライブハウスへの少しの道を雨と人の間を縫ってゆく。とはいってもその頃には雨は殆ど勢いを弱めて頼りない折り畳み傘でも充分に歩くことができた。
くだらない話だが一か月前に別れた人が来るというのでわたしはごく緊張してさっき濃いコーヒーを飲んだにも関わらず缶コーヒーを買って、殆ど吸っていない煙草の一箱を持っているというのにもう一箱を買って、ライブハウスへ行った。今日は懇意にしているバンドの企画で、物販スタッフをやってくれという名目でタダで入れて貰った。今度自分の企画しているライブにメインとして誘っているので、たぶん気をつかってくれたのだと思う。ただ、今日の物販は外で、わたしはおつりを持ってライブハウスの外でずっと立っていた。大きな音や人いきれや小さなライブハウスが耐えがたい最近は、公然と馴れあってくだらない話に興じるだけでいいというのは嬉しかった。別れたひととも話す。意識しないようにすればするほど息が上がり、声がうわずり、どもり、耳が聞こえなくなり、それを正直に伝えて謝る。話し終えた後にあまりの緊張に肩がものすごく凝っていた。様子を心配して懇意にしているバンドの人がお水をくれたくらいだ。けっこうだめだな。あとお腹も下した。緊張して一時間かそこらで煙草を一箱吸いきっていた。中学生のようにそのひとのことを好きだといまだに思う。サブカルメンヘルクソビッチというあだ名をつけられるほどの昨今のだらしなさだけれど、男の人、ひいては、他人とうまいこと関係を築くことが出来ないんだ要は。立ち回りが本当に下手過ぎると思う。
最初のバンドだけ中に入れて貰って見たけれど、自分が思い入れやなにかで肩入れしているのではなくて、やっぱり良いのだと思った。そのバンドではわたしが世の中で一番無責任にいられる人がギターを弾いている。妙な思い入れを取っ払っても楽器をもっているときだけはその人は本当にかっこいい。11月の自分の企画にはその人のソロ曲をバンドでやる、というのも控えている。それが本当に楽しみ。PAがよくなくてギターの音がびりびりしたけど。
ライブハウスのひとたちと、なんやかや話す。
今日はひどく緊張した以外には割と良い気分で一日を使った。打ち上げにさえ出なければライブハウスはだいたい楽しいものだ。女子高生がまた酒を飲んでいたような感じで打ち上げにも参加しようとしている様子だったのをいやなおとなになって目ざとく注意するべきだったかすこし気にかかっている。別にわたしは彼女を守りたい訳じゃない。早いうちから失望の味を覚えさせたくないだけだ。大人は諦めてばかりいるから。ついでに言うとそういう子を混ぜてしまってなにかあったときに責任を負わなければいけないのはその場にいる大人たちで、社会的に友人たちが損をするような羽目になってほしくないからだ。18過ぎてからなら自己責任なんだけど、受験勉強しなくてわたしは後悔した。とはいえ彼女のような17才の夏は一日八時間勉強していたし、どうにか大学にはひっかかった、後悔をしてほしくないんだ、自分と同一視したエゴだな、打ち上げ、もうしない!ってわたしの大好きなバンドも歌っている。夜通し飲むのなんて、だいきらいだ。朝になってもどこにもたどりつけない。終電で鮮やかに帰る。
ブローディガンはそのうち読むよ。