死んだら半年

わたしは男の子ではない、湿っぽいやわらかい粘液質の諦め、受け入れるための体のつくり気持ちのつくり、これだけは抗いようもなく変えようもないし体力のなさも仕方がない
頭の中では涙が流れる、何度もギターを大破させ人の髪を掴み引きずり倒す、だけれどほんとは人前で涙のひとつも流せない、醜くても泣ける女の子の勝ちでしょ、体育祭で負けて泣くやつばかじゃねーのといいながらうらやましかったわたしはひとりのとき旭山動物園のドキュメンタリーみて泣きそうになったりする
子供のころは男の子になりたかった今もなりたい。ついてるものついていたら、ロックスターになれたかな、大勢のじゃなくても誰かのね
女の子にもなれないし男の子にもなれない。
日記がますます遺書めいてくる。何度も死のうと思うけれどあのような映画やあのような雑誌やあのような曲をすこし作ったくらいでまだ死ねないし死なせてもらえないだろう。こんな自分ではあまりにひどくて死ぬことだってできないこれで終わりだなんて諦めきれない、わたしはまだおなかがすいているし、ひとにやさしくされたいし、自己実現したいし、なにもしないままこんな歳になってしまったなんて嘆く暇があったら動くほかない訳だし、ギターも弾けないけどライブが控えているし
あんたなんか知らない、って言えるくらい強いわけじゃない
いつしか支離滅裂になるのも恥ずかしくなり論理だてて話すこともできなくなり何も言えなくなった 多少ポエミーでもわたしはすべて忘れてしまうから語るしかない


だって言っても言ってもその先にあるのが馬鹿馬鹿しい生活だとしたら黙ってダメージを受けないようにした方が賢いような気、しない?
こういう夜は岡崎京子、でも嫌いなひとに貸していて返ってこない。買いなおすか。