わたしの神田川

廃墟と化しているここだから書くけれど。始まれば終わるということについて。
気を許すと、方言になることがあって、それは気を許すということだけでなく、甘えを多く含んだ時に、子供のころ夏休み通った父の単身赴任先の関西弁と、初めて付き合った男の子の使っていた北海道弁の混ざったものをわたしは話す。関西弁は17才で失踪した大阪の友達と、長いこと電話していた痛みを伴う17才の夏の記憶もあるかもしれない。
甘えや新鮮さをなくすとそういう言葉を話すことはなくなって、平坦なトーンに戻るのだけれど、さいきん甘い気持ちでそういう言葉のしゃべり方をしている。
新鮮さをなくすこと、始まって終わること、そういうものが恐ろしくて、どんなに熱烈な愛情も、愛情はそのままでも、やがては味のなくなったガムのように惰性で続けるようになることをわたしは10代ですでに知ってしまって、そういう倦怠を避けるために、馴れ馴れしくすることを避け、始めることを避け、終わっても後悔しないものを選んで、22才を迎えた。それでも、新しく始めて、その終わることを恐れるというのは、始めるだけの熱量がないだけであって、これまでのほとんどにそれだけの情熱がなかったのだと知った。
欲望が先んじてしまうから終わりを予想できるものしか愛さない(愛するふりをするということだが)こと、終わらない関係を望むことは、決して責められたことではない。わたしそういう風にしか生きられなかったし、そういう方法でしかひととコミュニケーションがとれなかった。わたしはただ終わりを考えないだけの、忘れさせるだけの、自分を浅はかにさせるだけの熱量が訪れなかっただけだった。
6年、続いた熱量は終わることがない。始まらなかったことは終わらない。始まる前からわかっていたことだけれど、愛情が倦怠を含むことが恐ろしかったわたしには、始まる前から終わっていたから、安心することができたし、どれだけわたしが始めようとしても、それが始まることはなかった。
ひとりの地下鉄の帰り道、中島みゆきの歌とは違うけれど、拳の中爪が突き刺さり、痛いほど力の入った指先が震えた。