君はもう長くはない

自殺未遂する直前の文章

死んだ友達二人のことを考える。
正確にはひとりは失踪だけれど。
薬の副作用なのか、病気の症状なのか、健忘がひどくて、バスへの乗り方もわからなくなり、スタジオに練習へゆくのにベースを忘れていた彼は、きっとあのまま生きていても、いいことはひとつもなかっただろう。
時には包丁を持って暴れ、意味不明の電話をかけまくり、わたしが知っている数か月だけでも、何度も措置入院した。
さいきん、精神障害者が家族にいるひとたちの書き込みを読んだ。そこでは主に統合失調症のひとたちについて書き込まれていて、早く死んでほしい、といったことばかり書き込まれていた。
そこを読んでいたら、あのまま生きながらえて、学校にも、仕事にも通うことができず、家族に迷惑をかけ続けて、歳を取ってゆくくらいなら、彼は、あのとき失踪して、良かったのではないかと思った。
もうひとりの友達も、たくさんの知人が彼の死を悲しんだけれど、やっぱり彼が死んで、きっと家族はほっとしただろうと思う。弟も確か発達障害かなにかだった。
前の部屋は確か壁に穴をぶちあけて、わたしが出会ったころに住んでいた部屋はCDを大きな音でかけ続けて、近所から苦情が来て、引っ越した。その次の引っ越し先で彼は死んだ。彼はいつも薬を適当にたくさん飲んでいたから、それでうっかりと死んでしまったようだった。タワーレコードの袋で埋め尽くされたその部屋は、ひまわり畑のようだった。

わたしも死んだほうがいいのだろうかと思う。薬を飲み続けて、死にたい死にたいといいながら生きながらえてゆく。男を食い物にしながら。それもあとすこし歳をとればできなくなるだろう。
仕事には就けるのだろうか。卒業はできるのだろうか。
卒業論文を書こうにも、わたしの頭はもう文章を受け付けなくて、何を読んでも内容が理解できない。
こうやって、自分の考えを言葉にするのだって、何時間もかかっている。
どうやって生きてゆけばいいのだろう。生活保護?障害者年金?生活保護を受けるくらいであればわたしの親や親類は支援してくれるだろうし、障害者認定されるほど症状も重くない。
オーバードーズするほどの薬もない。
せめてしばらく逃げたい。
終わりにしたい。

豊田道倫の歌は甘い。「君はもう長くはない」