オナニズム

吉祥寺方面へ行く井の頭線は朝のラッシュでも座ることができて、久我山かそこらのあたりで満開の桜の枝にうずまるようになって走ってゆく。民家の屋根が窓に平行にみえるのは、小田急線とあんまり変わりない。花見は一度した。夜の暗闇のために人の顔は良く見えず、その上わたしたちの座っていたのはけやきの木の下だった。だけれど夜の青色を透かす光で、花は青ざめて見えてそれはけっこう美しかった。
ただ桜というのは、咲いているあの白っぽい薄紅色のままに散って乾けばいいものを、酸化して褐色になってしまうのがどうも好かない。花びらがあちらこちらの窪みにかたまって、なまあたたかさのもと甘酸っぱいようなにおいで腐っている様子が目について煩わしい。あれは春に特有の焦燥感を臭気で煽る。道路に湿った無残な花びらがへばりついている期間は花が咲いている時より長く、花が落ちると残ったがくの紅い色は無遠慮で醜く見える。それが良くない。美しく咲いているときよりも、咲くのを待ちかねて膨らんだ花の蕾を見ている時がいい。予感はいつだって本当にそれに出会ってしまうよりも良いものだ。実在するものは想像に打ち勝つことが出来ないというのがわたしの持論。触れなかった唇、繋がれなかった手、しなかったセックス、そういうものが、最も輝かしい記憶になるんじゃないか。違うかな。ごく近づけた二つの磁石の間に生まれる磁力、そういうものこそ、鮮やかに残ってゆくのじゃないのかな。
中学生のころ、冷房も暖房も利かない文芸部の部室は、あたたかくなり出すこの季節に唯一気分よく過ごすことができて、開けた窓からグラウンドを挟んで少し遠くに桜並木は枝をぼんやり薄紫色に煙らせて花開くのを待っていた。運動部の練習なども良く見えた。思い出されるその景色は決して特定の日付でなく、普遍的なイメージとしての平均された景色で、そんな景色のあった日など無かったかもしれない。だけれど思い出されるその空は、今日と同じくすごく青い。