昨日は、3時まで目を覚ましていた。なんとなく寝つかれなくて、バイト先で買った「鬼太郎」を読みきったのだった。
今朝は7時半に起きるつもりでいたのが、6時50分に母親にたたき起こされた。本来であればもうすこしは眠れただろうに、あんな風に起こされてはたまらない。それでなくても今日一日体力はもつだろうかと不安でいたのに。30分の睡眠不足は、大きい。


目が覚めて、寝起きの頭で、「お母さん、助けてよ」と思った。
話をきいて、頭をなでて、ただ頷いて、抱きしめてほしい。ぼんやりと、目やにだらけでくっついた目から涙を流しながら、思った。自分の持ち物にさわられたり、部屋に入られるだけでもいらついてしまう最近ではあるけれど、それでもまだ子供として、頼りたい気持ちがある。甘ったれているけど。(いらつくのは、たぶん、とても動物的な縄張り意識の芽生えなのだと思う。自立しはじめる年齢だということ。)
以前学校での人間関係に思い悩み手首を初めて切ったとき、母親から出た言葉は「みっともない」と「カウンセラーにゆきましょう」だった。「どうしたの、なにがあったの」と私に向き合う姿勢はなかった。それから、親に親としての役割を望むことは諦めようと思った、それでも諦めきれない。
できるなら、素直に話がしたい。なにもかもを打ち明けてしまいたい。それさえ出来れば、寂しさは多少埋まるし、こんなにも不毛なことを続けなくても済むようになるだろう。
けれどいったいどうやって話をしたらいいというのだろう。
負荷をかけられるだけなら顔を合わせたくないので私は外に出てばかりになり初めのうちは叱った両親もそれを当り前とするようになりわたしへの関心は薄くなってゆく。両親に「大切に」はされている。けれど幸せでいてほしいとは思われていないような気がする。話をするような瞬間は訪れない。
いったい、どうして話をしたらいいのだろう?どんな風に?
子供の甘ったれた気持ち。
話をしたところで、すべて拒絶・拒否・否定の三点セットで頭ごなしに叱られるか、以前のように専門機関へ丸投げしようとされるのは目に見えている。
それでも、少しの期待が心にはりついてはがれない。
今はとてもさみしい。本当にさみしい。それだけだ。
もう、ここから抜け出すべき時期。
箱入りの、ひとりっこだったんです。


紙に書きさえすれば、一応、ある程度は文章を書けるようだ。よかった。