なんだ、簡単なことじゃないか。自分の足下さえ確かめてみれば、すべてははっきりしてくるのだ。
すこし刺激を与えてやれば言葉は血潮のように上手い具合に流れてくれる。そしてそれはつまり、わたしが勢いと感覚だけで言葉を扱っていることの証明に他ならない。言葉を自分のものにするためには言葉を蓄積させてゆかなければならない。燃費の悪い車がガソリンを食うようにして取り入れた端から言葉を消費してゆく。
先日どこかでみたのが「文というのは我々が世界を新しく認識してゆくための手段である」という話で、それが随分長いこと留まっている。
大切なことはきちんと体に留まってゆく。


目下の目標は、論理を身につけることと、言葉を体に堆積させること。