自分の中での、良し悪し、好き嫌いの判断基準を失うほど落ちぶれてはいない。けれど落ちぶれてしまう時にはきっと落ちぶれたことにも気がつかず落ちぶれてしまうのだろう。そしてなにもかも無選別に享受してしまうようになる。理論は判断の拠り所にはなるけれど最終的に自分の感覚だけが頼りになる。自分の持っている感覚を捻じ曲げるようなことだけはしたくない。だから、嘘は言わない。