「あくまくん」のオープニングをコピーしたい


年末、知人がひとり死んで、その追悼とかこつけてはラーメンを食べている、その知人とラーメンを食べたことはない。
親の金で三鷹に一人暮らしをしていたヒロくんは純然たるニートで、職歴が全くないどころか携帯電話でメールを打つことすらまともにできないほど生活力に欠く人間だった。「高校時代に上級生に喧嘩を売られて角材で殴ったらみんなに一目置かれた」ということだけが自慢でその話を繰り返し繰り返し聞かされた。彼とはライブハウスで知り合い、何度となくライブハウスで会った。
彼はたいてい厚底の黒いラバーソウルを履いていたけれどそれでも尚且つ身長163cmのわたしより背が低かったが決してそのことを認めようとしなかった。その靴はサイズが全く合っていなくて大きすぎたがためにヒロくんはかかとを引きずって歩いていたので靴底の後ろ半分だけが斜めにすり減っていて変な歩き方だった。たいがい同じ服を着て、そしてなによりいつもライブハウスにいる男で、いくつかの決まったバンドのライブにはたいていいたし、たいがい夜はどこかのライブハウスにいて驚くほど顔が広くてしょっちゅうゲストで入れてもらっていて、そして、さいてーの野郎だった。「僕は女の子に抱きついたり僕の酒や食べ物にたかるようなイメージしかない/ほんとーにクソ野郎だったけど、心底憎んだりはできない/そんな奴だった」とは他人のブログの引用だけど。
強迫神経症で、精神病の薬を飲むようになってから彼はどんどん副作用で固太りしだして伸ばしていた黒髪も金にして短くして人相が変わり、出会ったころはちょっと坂本慎太郎風だったというのに最後のあたりはすっかりDQNの風貌だった。そして彼はDQNだった。わたしの友だちのツジマリコ企画に、予約していなくて入れなくて受付でゴネて騒いだときは本当にいい加減にしろと思ってしばらく電話を着信拒否にしたしぶん殴ってやろうかとおもった。ほんとうにどーしよーもねーやろーだった。彼の病気のわかりやすさとして彼の部屋の中はタワーレコードの袋にCDや本をきれいに詰め込んだ袋がいくつも整然と並べてあって布団以外のほとんどのスペースをそういう袋が黄色く埋めていて、その部屋の様子がロケーションとしてけっこう面白いので、わたしはそのうちそこを借りて映画を撮ろうかと考えていた。
バイトのあと、下北沢club Queの上にあるファミレスに食事に行ったとき、Queの上に居たところに偶然会ったのが最後で、12月7日かな。女の子をはべらかしてたね。
彼が死んで(たぶん)わたしも、だれも悲しんでいない。*1これほどまでに惜しまれないひともなかなかいない、あいつは社会のくずだった。それでも喪失感はある。
5月頃、大学に思うような友達ができなくて三鷹まで歩いて行って部屋で携帯を充電させてもらったりちょっと昼寝させてもらったりした日々はたぶん忘れるよヒロくん。毎日夜中の1時やら2時やらに電話をかけてくるのでくそ鬱陶しくて放置していたらそのうちかけてこなくなったね。
死んだらあの膨大な量のCDくれるって言ってたんだけどな。
わたしは彼にCDを1枚あげて2枚は貸していて、それからパーカーも1枚あげた。ショッキングピンクのパーカーはわたしには似合わなかったし少しサイズが小さかったから華奢な体躯の彼の方が似合った。
わたしとヒロくんとは顔が似ていると周りの人にしつこく言われていたのであと何回かは追悼ラーメン。似てないつもりだけれど。
書いておかなきゃ君のことなんか誰もが忘れてく。
andymoriの新しいアルバム、ジャケットのど真ん中にいるのがどうやらヒロくん、良かったねえ

*1:と思って多少検索をかけたら意外と追悼されていた。すごいなgoogle、東京で男の子が一人死んだのだってすぐわかる