原色日本蛾類図鑑。その乱調を見つけたのは、唯一わたしだった。

ステルス機によく似た蛾が、三日同じところへとまっている。蛾というのは、一日や二日平気で同じところへとまっていることがある。毛深い体はたしかに忍耐強そうだ。この蛾が明日飛び去ってしまっていたら、寂しいだろう。薄い白い羽の向こうの、柱のペンキの翡翠色がうすく透ける。縁取られた三角形。
去年の、たしか今と同じころだったかと思う。わたしは同じようにして何かのさなぎを見ていた。さなぎは、帰り道毎日使うバス停を降りたところにいて、わたしはそれが無事羽化するか心配だった。わたしは蛾や蝶の種類は確かに多少知ってはいるけれど、寒いころに蛹でいる種類がいるかどうかということについては、よく知らなかった。図書館のわたしのお気に入りの席は、すぐ後ろに「原色日本蛾類図鑑 上・下」があって、受験勉強の合間にそれを見ていたからだ。スズメ蛾の類の丸々として毛深い胴体や、オオミズアオの持つようなふさふさした触覚を好きだと思った。ただ、わたしはその姿や名前の項目ばかり見ていて、その特徴についてはよく読んでいなかったのだ。
帰り道、バス停に降りるたび、わたしはときどきそっと蛹に触れた。そうすると、蛹はいつも力強く尻を振った。
ある日、蛹は逆さ吊りになっていた。逆さになるということが、どれくらい中身に影響を及ぼすのかはわからなかった。だけれどもしかしたら駄目かもしれない、と思った。わたしはそのころには、9月に失踪した友達を蛹に見立てていた。こいつが無事に羽化をしたら、あの子は生きている。あの子は生きている。そう考えていた。はらはらしながら、毎日蛹を見ていたが、ある、雨が降った日の翌日、逆さ吊りの蛹はいなくなっていた。あの子はいま、本当に死んでしまったんだろうか。どこかで白骨化しているのだろうか。自分のことを病気だなんて思わなければ、苦しまなかっただろうあの子。
あの子に会いたいと、わたしは思わない。ただ、あの子がもしも生きていて、あの頃のままでわたしの傍にいたら、きっと今見ている景色は違っただろう。