百年生きる

齢・百歳を越えた曾祖母がいよいよ危うくなってきた、という話が去年の終わりごろからあって、耳は聞こえなくともよく筆談し、またしゃべっていた曾祖母、さいきんは一言も喋らないらしい。
百年も生きれば肌はやわらかくなりすぎて注射の針を入れられないので、手足が浮腫んでもなんら手を打てず、触るとひどく痛がるからやわらかいくつしたを履かせているという話を母親から聞いたけれど、わたしは、ちょっと猿にも似た顔で、にこにこしていて補聴器片手によく話していた曾祖母しか知らないので、受験を理由にここのところずっと会いに行っていない。
その代わり画用紙を切ってカードをつくって、見舞にゆく母親に持たせる。
曾祖母は工作でかわいいものをつくるのが好きで、わたしがちいさいころは自分でつくった紙粘土のバラだとかひょうたんをくりぬいて和紙を貼ったのだとか押し花のしおりだとか、いろいろいろいろと遊びにゆくたびにどっさりくれて、ちょっと困るくらいだった。
庭石につまづいて骨折して以来老人ホームへ入ってからも、写真を切ったり貼ったりくらいの工作は続けていたのに、さいきんはもうしないらしい。
だからいまはわたしが曾祖母の好きな花の押し花だとか好きそうな色合いを考えて紙を切ったり貼ったり精一杯つくる。

いつまでもいつまでも人間、元気でいるってわけにはいかないってわたしだってわかっているから、受験がひと段落したらきっと会いにゆく。わかさぎ釣りの季節に、わたしはやっと十八になる。
わたしが六十八になる、五十年後には確かに曾祖母は死んでいる。