新しい遊び

ここ数日、村上龍の「音楽の海岸」の中で、主人公が、自分は常に自分を三人称で語る言葉を持つようにしている、と言う一節に影響を受けて、自分のことを一人称でなく語る言葉を探す遊びをしている。やってみると、村上龍の真似になる。同じわたしのことを語っているのに、その一文一文から受ける行動者の印象の違いというのも面白い。
「Aはナタデココを丁寧にひとつずつ噛み、へたった繊維を口から出してみている。奥歯に噛みつぶされたナタデココの繊維の残骸は、不透明で白っぽくイカの刺身によく似ている。」
「Aは頭痛がして横になった。最近は目がかすみ、次の健康診断で視力が落ちていると言われたなら、眼鏡を作ろうかと考えながら、すぐにすり切れる脆弱な身体に不安を覚えた。早い時間に眠る時、Aは自分が、蛹か繭か、そういった虫のようなものになっているような気がする。」
前者はキャミソールを一枚着ただけの、洗い髪をまとめた、痩せた、色の白い女の子がしているようだ、と私は思う。後者は仕事に疲れた男の休日の昼間を語ったようだ、と思う。そして元々その行動をしていた人間であるところのわたしは、どちらでもない。