尿について小一時間考えた日曜日

母親がキムチラーメンを食べるにおいと尿意に目を覚ました。時計を見ると12時ぴったりで、膀胱が鈍く痛いのに起き上がるのも億劫な感じとか、生温い昼間がカーテンに透けているのとかに、久方ぶりに日曜らしい日曜を感じた。トイレ代行業というのがあればきっと儲かるだろう、ということとか、膀胱さえなければいつまでだってきっと眠っていられるから、長い時間眠るためのコツは眠る前にトイレに行っておくことだとか、尿のことばかり考えながら一時間くらい重い膀胱を持て余しながら布団の中を出ずにいた。ようやっと用を済ませて、昨日の夜のうちに連絡はしてあったのだけど念のため、バイト先に、「体調が芳しくないので今日は休ませてください」という電話をした。もう随分疲れきってしまっていた。
体が泥のように重くて、軽く食事をして、町田康を読んで、犬の散歩へ出なければと思いながらまた眠った。そのあまり長くない昼間の眠りの中で、下北沢へゆこうとする夢をみた。原宿までゆこうかとも考えるのだけどどうにも面倒くさい、三軒茶屋か下北沢にでもゆくか、と電車に乗るのだけれど、わたしは財布をなくしていて、買い物しようにもできないことに気が付く。切符は、ポケットの中にあった、昨日夢でなく現実にn君から巻き上げた小銭で買っていたから電車に乗るまでそのことに気がつかなかったのだった。三軒茶屋の駅でわたしは何度も線路に降りてホームを渡ろうとするのだけど、そのたびに電車がきてひかれそうになる。わたしはまだ死にたくなかった。夢の中の三軒茶屋の駅は現実のと同じに黄色いタイルの壁で、だけれど現実のものより暗く狭くて、高速道路のトンネルに似ていて、駅全体がカーブになっていた。線路にはご丁寧に横断するための道があって、けれど線路に降りるにはホームに飛び降りるしか手段がないという親切なんだかそうでないのかわからない構造をしていた。それから現実と違うのは、三軒茶屋と下北沢が隣り合わせの駅だったことだ。妙に生々しい夢だった。ポケットの中の小銭あたり。
目を覚ましていやな気持ちになりながら犬の散歩へ出た。外は寒くて手が痛くなった。5時を過ぎても空は暗くなっていなくて、「春が来てる!」と言ってしまった。夕焼けで逆光に影絵のように浮かび上がる景色が好きだ。黒い影の間には遠近感がなくなる。遠くの電線も近くの電線も平面で重なっているだけの線になり、密集した木の枝は立体感をなくして黒いレース編み模様のようになる。遠近感をなくして景色が全て絵になる。横浜は嫌いだけれど丘や坂が多い地形で高い建物がないので空がよくみえることだけとても好きだ。


今は、人と接することがとてもこわい。人とのやり取りというのがとてもこわい。疲れるとそうなってしまう。ぐったりと疲れている。夜の空気が足りない。夜の生き物であるのに昼間笑うのはとても力がいる。お酒は1月3日から飲んでいなくて、このところ、なんとなく飲みたいなと思う。
インターネットがこわいので書いておくとこれは全部フィクションです。過敏すぎるか。