駄目になると分かりながらそれを待つ話の一

帰り道の途中に、たぶん蝶かなにかのさなぎがいて、さいきん毎日様子を見ていた。
この寒い時期、薄い乾いたような皮いちまいで、頭のあたりと尻だけ、糸でネットにくっついているさなぎはいかにも頼りなかった。だいたい、蝶のさなぎがこの時期にいること自体がたぶん、季節外れだと思った。蝶の越冬のしかたをわたしは知らないから、自信はなかったけれど。
あんまり長いこと羽化しないので、死んでいるのかと思ってたまに触ると、けっこう力強く尻をくねくね動かしてきて、さなぎのなかでは水っぽい幼虫がけっこう元気にしているようだった。
次第に、さなぎの背には羽らしい模様もどうやら透けてみえてきて、いつ羽化するかと、その道を通るときはいつも様子を見ていた。
さなぎのいるのは家のすぐ近所だったけれど、さいきんは寒いから、休みの日や、その場所を通らないとき、わざわざみにゆくようなことはしなかった。だから連休などが明けると、羽化してしまっているのじゃないか、死んでいるのじゃないかとけっこう心配しながら、さなぎを見に行った。
数週間、さなぎはそのままだった。
また連休が明けて、さなぎをみにゆくと、さなぎが尻だけで逆さにぶらさがっているのがすこし遠くからみえた。
ついに羽化したかなと、残念な気持ちとほっとした気持ちで、脱け殻をみるつもりで近付くと、さなぎは中身が入って丸々とふくらんだままで、逆さ吊りになっていた。
いままで見たことのなかったさなぎの腹はけっこう白くて、さわってみても、もう動かなかった。
ほんとうは、わたしは初めから、さなぎがこんな寒さの中で羽化するのは無理だろうと思っていた。思いながらも、羽化を待っていた。
わたしはまだ、逆さ吊りのさなぎが羽化するのを待って様子をみている。
死体は暖かくなるまではたぶんそう腐らないだろう。
春までにさなぎがそこからきえていなくなるのを、わたしは待っている。
待っているけれど、いなくなってしまったらきっと寂しいんだろうと思う。