またもや

Y012008-05-05

暗い道を歩くのにすっかり慣れていることに驚いた。誰もが避難したあとのような住宅街を、写真を撮りながら歩いたりもする。それでも後ろから何かついてきているのではないかという不安はいつもある。
昨日は新宿へ朝早く向かって、夜行バスで北海道の実家から帰ってきたfくんを迎えに行った。眠れなかったために徹夜をして、朝4時ケーブルテレビでやっていた新ルパン三世をみてから始発の次のバスに乗って行った。古いアニメというのは色使いなど素晴らしいと思うし画面の構成などとてもかっこいい。五右ヱ門がさらわれて、拷問の一環として轟音のエレキギターを無理矢理聴かされて苦しむ姿などに爆笑した。
fくんに誘われて世界堂という画材の専門店で竹久夢二展を見た。夢二の描く女性は気持ちが悪い。隙までもが生々しすぎる。それまでも意識されている感がある。その癖想像の余地も充分に残されていて、そのあたりが絶妙なんだろう。夢二展以外にも、普段縁遠い専門的な品物など見て楽しんだ。化学薬品を入れるようなガラス瓶がたくさん並んで、それぞれ桃や青や灰など色とりどりの粉の入ったのは日本画の絵の具で、明るい店内と対照的に、色褪せたラベルに明朝体に似た神経質な手書きの文字で、「薄桃鼠」「翡翠」「濃口鼠」「群青」など怪しげに名前が書いてあるのがまるで魔法の薬のようだった。他にもそのあたりでは、水晶の粉末や、雲母、何なのかよくわからない、おきつねのパッケージの中国語ばかり書かれた箱など、一段と怪しい品物ばかりあって、用途さえわからないのにきれいな石をみつけたときのようにはしゃいだ。日本の昆虫ガシャポンがあったのでやってみると、オオゴマダラが当たった。日本の蛙シリーズは品切れになっていた。
夜、fくんの提案で急にfくんのお姉様とお食事することになった。30代女性、20代男性、×代女で並んで食うラーメンは自分がまるで味噌っかすの子供のような気持ちにさせた。実際そうではあるのだけれど。お姉様は確かにfくんと似ていた。自分には兄弟がいないので、自分と同じ遺伝子から構成された、自分に似ている人間がいるというのはどういう気持ちなのだろうと思う。姉弟細野晴臣の話やわたしのわからない音楽の話をしていて、羨ましい。この子は丸尾末広だとか夢野久作だとか、つげ義春なんか読むような女子×生なんだ、突然ゆらゆら帝国歌いだすし、こういう紹介をされた、さいきん、こういう紹介のされ方が多い、わかり易いけれど、名前に依っているなあ、と思ってしまって複雑な気持ちになる。
帰って、日本画の絵の具をみたことを母親に話した。美術大学日本画専攻で卒業した彼女曰く、あれらはだいたい名前の鉱物を砕いたもので、そのほかには顔料が用いられるのだという。世界で一番きれいな色と言われているのは牡蠣の殻の内側から作られる胡粉という白色なのだ、と教わった。花の名前や生き物の名前を数多く知っている母親を好きだと思う。
空気がしめっていてぬるい。身体に大気が迫ってくる。夏が来る。想像ばかりもうこんな時期から先走る。
この季節にこの曲ばかり思い出される。
サーティーン - summersessionz