強いストレスに屈していた一日、別段何もできず、体をおりまげて、自分を呪う言葉ばかり、自分に向けて音になって溢れだしてくる。死ねばいいのに、首を吊って死ねばいいのにどうしてあのとき死ななかったの?そういった言葉が半ば意思と関係なく、以前にした失敗が思い出された瞬間自動的に口から出てしまう。周囲にひとがいるときそれが出ると、わたしは自分の手の甲を強く噛んだり、指を噛みしめたり、自分に爪を立てることで代用して言葉を抑えるほかない。それはとても苦しいし、たまにはひとり、死ねばいいのに、などと人前で呟いてしまうときもあってどうしようもない。
たとえば、貧乏ゆすりする、などの、ここへいたくない、という意思表示の対象すらない、家、ここへいることがお前の目的なのでしょう?と終始意識に媚び訴えてくる、家、雨のために、ここにもう二日も籠っていて、それだけで気が狂いそうになる。
わたしは帰りたい。子供のわたしの家に。
わたしは待っている。
何もかも現実感がなく遠く離れてしまった、触れても触れても体は綿の詰まった人形のようで切り開いてみると血が出るのだけど痛いのも現実感がない。子供のころのようにあちこち触れて回ればすこし取り返せるかしら、と、ちょうどあたたかくなりだしたころに思いついて、学校の帰り制服でしゃがみアスファルトを撫でて石の模様を観察していたら、通りがかった車の運転手に変な目で見られたように思ってすぐにそこを立ち去った。わたしは椿の実をむしらない。わたしは人の家の沈丁花を手折らない。わたしはとかげをつかまえてかえらない。わたしはシジミチョウを手の中にいれてみない。久しぶりに触れた地面は意外にあたたかかった。雨さえやめばすべては良くなる。