スカートの長さについての覚書

スカートの長さについて。
わたしの身体は全体に形が崩れていて、調和がとれていない。上半身と下半身では、上半身で貧弱に肋骨が浮き出ているのに対し下半身は豊かすぎるし、足全体でも、足首だけが妙に細いのに対してふくらはぎやふとももが太すぎる。人が、一般的に「美しい」と感じるかたちは、基本的には、左右対称であるとか、調和がとれているものである。つまり、わたしは一般的には美しいと言われない。
そういう体つきのわたしでも、服の着方によってそれが目立ったり、目立たなかったりする。ハイソックスは足首とふくらはぎの太さを調和させて見せる。スカートはある長さにすることでわたしの足の不格好さを目立たなくさせる。このスカートの長さというのがとても重要だ。ふとももをみたときに、ひざ頭から足の付け根に向かってちょうど半分あたりのところまでの部分の太さというのはわたしが思うにそう醜くなく、むしろすこしセクシーであるとすらわたしは思っているのだけど、その半分を過ぎて付け根に向かっての肉づきは崩れた女のそれで、急に美しくない。スカートはその境目よりすこし長くても可愛らしくないし、すこし短くても醜い。その境界までの長さでスカートを整えることで、他人がそんなことに気がつかなかろうとわたしは、一日気分よく過ごせる。
どんな女性にでもセクシーさを感じさせる部分というのがあって、それに本人が気がつかず覆い隠してしまったりすることは非常にもったいない。美しい(可愛らしい)、というのと、扇情的というのは同じ概念ではない。そこのところを勘違いしている女の子はたくさんいそうだとわたしは思っている。美しくなく調和がとれていないからこその妙な妖しさというのを持っているのが女性という生き物で、わたしたちは女に生れた以上一生それに付きまとわれるのだから、そうだとしたらそれを把握し有効に利用するべきである。
まるで、自分が絶対的に正しいと思っているフェミニストの書いた文章だとか、カリスマのモテ術!みたいな本の文章みたい。要は、スカートの長さひとつにつけてもわたしには女として考えるところというのがあるのです。ということが書きたかった。余計なところまで話を及ばせてしまうことは危険だ。こんな場所に書き散らす文章に一般論にする必要なんてどこにもない。