ステレオ

良いことがあっても、それに喜べるだけの心の余裕がなく、周囲の落ち込みやなにかを、スポンジのようにすいとって沈んでゆく。ここはとても静かで体がずっと重たい。ふつうの判断もできない。別れてしまったひとに頼っている。
昔のように酷くはないけど、行動をすることができない。突然に叫びだして、のんきに笑っているひとをぶん殴りたくなる。死にたい、と思わないのが奇妙だけど、すこし成長したのだ。たぶん。
別れたひととの、こういった関係のつづけ方は、「一般的」には、よろしくないとされてしまう。それはとてもかなしい。
「恋人」というかたちをとっているのが難しくなって解消しただけであって、最も信頼している人間で、支えてもらっているのは変わらない。泣いて手首を切っても、決して美しくはない自分を拒絶せず、一番的確な対応をとってくれる人間であることに変わりはない。

周囲のともだちには、情けないの、どうの、と、そういった話しかしてこなかった。
だから、別れたときに、なにも知らないひとたちに、「別れて正解だった」「ふって当然」というようなことを、悪気なく、そして、自分がまるでわたしの保護者ですべてを知っているような顔をして言われて、とても悲しかった。他人のことを自分の基準にあてはめてどうにかしようとするひとが多過ぎる。他人のことを、自分がどうにかできると思っているひとが多過ぎる。みんなドラマの見過ぎなんだろう。気持ち悪い人間が多過ぎる。いったいなんなんだ?
すくなくともわたしには、話を聞いたり、手を握ったり、おいしいものを一緒にたべたり、抱きしめたり、なんでもない話をするくらいのことしか、できない。
相談者はたいてい相談に対する答えは求めていない。相談をするというのは自分の考えをまとめるための行為でしかない。だから聞き手が張り切る必要はまったくない。