2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

エスプリ

ただボールをつくことさえも、うまくできなかった幼稚園生のころからわかっていたことではあるけれど、わたしはどうやら少なからず鈍い。心の動きと体の反応が一致しない。いまだって、ボールの行き先に歓声をあげる女の子たちについてゆくことができない。…

悲しい気持ちでにやにや歩く

実在ではあるけれど架空の対話者をつくりあげて話ばかりしている。たいていわたしたちは実在ではあるけれど架空の状況で隔てられて話をする。カウンターや電話や音楽はわたしたちを隔てる。そうしてわたしは対話者がわたしでないような気にさせられる。しゃ…

横をタダ乗り

(土曜日、学校の終わったその足で世田谷美術館でのパスカルズのライブをみた。時間のなさから横尾忠則展はみることができなかったけれど、美術館自体は学校やかつての住所にとても近いのでいつでも見に行こう。整理番号の1番から30番台くらいまでが、殆どf…

「木に触ってよ」

することに、決めた、と口にしたり書いたりすることはおそろしいな、宣言してしまったらおしまいだ

私語

興味を持ったひとの、切羽詰まった顔が見てみたい。更に言うなら、切羽詰まった顔を、自分に因ってさせたい。 交尾するであるとかしないであるとか、性欲に限った話ではないけれど、そういう願望の、これはちょっと過激な話。 欲情という名前が適切なのじゃ…

夢日記

4/15・朝 前半は忘れてしまった。 まるで新築の家の中のような廊下を歩いている。けれどそこが屋外だとわたしは知っている。(屋根はあって、出入口に扉はなく、つまりアーケードか通路のようなものだ。)床は明るい色のフローリングで、壁は真っ白だった。人…

予防接種を受けた。注射は、これから打たれる、という「想像」が耐えきれないのであって、実際に打たれてしまえばたいしたことはない。それでもひいひいと大騒ぎをしてから、大人しく打たれた。人間は想像力が豊かで、それから来る好奇心と怯えのバランスが…

キセルとsakerockのスーダラ節 キセルがやるとスーダラ節もなんだかお洒落だ、だからといってその「お洒落さ」にいやらしさはない。今スーダラ節を歌うとこうなるのだな。といった感じ。 昭和の歌謡曲の、ともすれば演歌のような歌い回しがとても好き。

愛という動力の根源はなんなのだろう、わたしたちは結局、目の前にあるものしか愛せないのかもしれないとわたしは思うのだけれど。

これは人に読んでもらうために書くわけではなく、私信的な意味で、書くのだけれど、さえとさんからほし(歯だけど)がついていて気持が洗われるような気がした。わたしはちょうど別の自分になってしまったような気がしていたから。 会話のように言葉を書くよ…

わたしはわたしをあんなに激しく憎んでいたのにそのことさえ忘れてしまった。あんなにわたしのなかにあった言葉はすべてがらくたになってしまった。わたしに言葉はもはや無い。わたしは愚鈍で劣っていて頭が悪くさらにそのうえに妙な奢りを積み上げてしまっ…

鏡の前に立つ

犬の散歩へでたら、みたこともないくらい大きなカブトムシの幼虫(推定)が道路にはだかで落ちていた。かわいそうに思ったので、拾ってかえって、仮にマーガリンのいれものに土をいれて養っている。 小学生のころは、父親ととってきたカブトムシを、自宅で繁…

水っぽそうな舌

出来るならもうすこし感覚や感情だけ捕らえて記したい、わたしが口にすれば事実さえ味気無くなってしまう。

このごろ音楽の夢を見るようになった。ゆめうつつになっているときに、頭の中で、クラシックギターのアルペジオを繰り返すような音が、想像ではなく、現実に音が聞こえるようにして、頭の中で鳴り続ける。この間聞いたものは、「夜の夢」というバンドの曲に…